「保証します」を考える

私の机のなかにもいくつもの保証書がある。パソコンにカメラに時計に,こまごまとした家電製品。実に満ち溢れている。

最近、続けて二人の初診患者から、「セラミックが壊れたら保証してくれるのか」「インプラントは何年保証してくれるのか」「今までのセラミック冠はすべて保証書がついていたが」と聞かれた。

保証書がついていることは、買うという決断を後押ししてくれる。購入者にとっては実に甘美なささやきだ。その気持ちは私も十分わかる。

最初に保証が付けられたのは、画一的に大量に作ることができる工業製品であった。それでも、現在でもそうだが、車のように大量の工業製品の集合体のようなものには、保証書などはない。何台か車を乗り継いできたが、車の保証書をもらったことがない。せいざい、1年間点検無料とかいったもので、なにか不具合があったからといって、車一台まるごと交換してくれた話は聞いたことがない。

今は何でもかんでも保証をつけなければ、消費者が安心できない時代になっている。食品の賞味期限は言うに及ばず、賃貸料の保証から、引っ越しの保証、さらにはペット購入時の保証まで。そこで歯科治療まで保証しようというのである。

私の結論は、こうだ。

「大学での歯科治療に保証書が出される時代になったら、私もだそうと思う。」

歯科治療は、多くの場合、材料と技術の混合体となっている。

セラミックが割れたとしたら、その割れたセラミックは材料である。その材料から、冠の形態に変えるのは技術だ。現在のセラミック冠はcadcum(キャドカム、コンピューターを用いた加工技術)で作られる。しかしどのような数値を入力するかは技工士の裁量つまり経験という技術に他ならない。

そもそも歯を削ったのは、歯科医である。歯を削る機械の性能にも様々あるが、機械以上に、歯科医の歯を削る技術には天地の差がある。歯医者は昔、歯大工と医師からよくバカにされたが、大工がピンキリなのは、よく知られたことだろう。どんな分野でも、無から有をつくる技術は、そう簡単に上手にはならないのだ。

さらに、全体を踏まえて、削り方を工夫するとなると、それは大工から棟梁へと脱皮する必要があるのだ。

それでは、セラミック冠がなぜ割れたのか。

材料なのか技術なのか、あるいはその両方なのか。

材料が原因なら、話は簡単だろう。割れない材料に変えればそれで良いことになる。

では、技術が原因の場合はどうだろう。割れる原因となった技術力しか持たない術者に再度トライしていただいても、うまくいく確率は低いと考えるのが普通だろう。へたな大工の保証など、保証のうちにはいらないと考えるのは、私だけだろうか。

それでも保証書をつけるのは、歯科医側に何等かの意図があるからである。前述した新患患者が症状を訴えていたのは、残念ながら、セラミック冠がかぶっている歯であった。その歯の歯根が炎症をおこし、まわりの骨組織が吸収されていた。

結局彼は、当クリニックで自費の根の治療を受けることを選択し、セラミック冠をはずすことに同意した。

また、最近では、インプラントなどでは、患者と歯科医との間に保証会社を介在させるケースもでている。保証料が添加され割高になることは当然のことだ。

以前ある保証会社から、トラブルになったやりなをしインプラントの施術相談があったことがあったが、最初の先生では手におえなかったということだろう。

技術力がすべてであるインプラント治療で、気前よく保証書をだすには、保証会社を使うのが一番と考えている歯科医もいるのだろう。

視点を変えれば、人の不安を商売にしているとも言える。いやもっと正直に言えば、人を信頼できない人がカモになっているとも思っている。

3組に1組が離婚する昨今。信頼は死語になり、互いが、結婚保証書を出す日もそう遠くないかも知れない。

 

 

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